院長紹介|大田区池上の歯医者・歯科|いけむら歯科クリニック

いけむら歯科クリニック

〒146-0082 東京都大田区池上7丁目6-8

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院長紹介

小学生のころ

家の中で本を読むというよりは外で遊んでばかりいました。

当時の世田谷は空き地や野原が多く、草野球をしたり野原で虫を採ったりするのが大好きでした。学校から帰ると大急ぎで宿題を終わらせて外に行き、カラスが鳴いたら帰るという毎日でした。おそらく私よりも前の世代と同じような生活だったと思います。その中で、学校で習う理科は遊びと密着していて、気温、日光、星、植物、動物等、知識がそのまま遊びに役立つことばかりで、次第に興味を持つようになりました。

学校でのほかの勉強はあまり好きではありませんでしたが、図工だけは別でした。絵はたいしたことないのですが、工作が好きで、区の展覧会に選ばれたこともありました。高学年になると、担任の先生の薦めもあって、受験勉強を始めました。そしてその先生のご子息と同じ中学に見事合格することができました。

中学生・高校生のころ

あこがれの中学に入学してみると、周りは天才秀才ばかり。はっきりいってビビリました。そして私とは違ってみんな読書好き。中1のときに、友達に面白いからとニーチェを薦められるも全く楽しめず、自分の能力に自信が持てなくなりました。そしてだんだんと勉強から遠ざかっていきました。

劣等感を強く感じる中で、次第に部活の軟式テニスに熱中するようになり、ここでは中高とも部長を務め、人をまとめることの難しさなども感じながら、テニスのことばかり考えるような生活でした。

高校では都大会で数回勝ち進めるくらいにはなりましたが、上には上がいることもはっきりわかりました。勝ち進んで強豪校の一流選手と対戦する機会に恵まれたとき、相手の打球を見て度肝を抜かれました。全く違ったのです。また自分がベストのボールを打ち込んでも、その倍の速さで打ち込まれるのでした。負けて悔しいというより、いい物を見せてもらったという感覚でした。その時に、練習してテニスの順位を上げるより、勉強して成績を上げるほうがずっと簡単だと素直に思えるようになりました。

部活を引退し、卒業後の進路を考えるころにはかなり悩みました。親は会社員だったので自分で生活できるようにならなくてはいけない。しかし能力の高い人たちを沢山見て、この中で自分の生きていく余地があるのかといつも不安に思っていました。

中3のころには割合と読書も好きになり、古典的な哲学の文章も面白いと思えるようになったのですが、世界史を習って作者の時代背景を理解した時に、その言葉の重みに圧倒されました。そして小学生のときにそのような本を面白いと思った友人がどこまで解釈できていたのかということに気が付いたとき、劣等感を感じすぎていたことも理解しました。

それでも、まわりのほとんどが東大を目指し進学していくという中で、これといった才能も無い人間が生き延びていくためには、資格の取れる学校に行かなくてはならないと思うようになりました。そして医学部か、細かい作業や物作りが好きだったので歯学部を目指そうと思い、浪人しましたが、なんとか東京医科歯科大学に進むことになりました。

大学院のころ

内科医は薬で治すため薬に対する知識が必要なように、歯科医師は歯科材料の正しい知識が必要だと考え、歯科材料を研究する教室に大学院生として在籍する道を選びました。

歯科材料の研究開発に注目していくと、様々なことが分かりました。

メーカーは新しい材料を出すとき、実際の使用環境とは異なる設定の論文を出してくることがあります。そのため、実際の使用環境に近い条件では新しい材料と既存のものとで差が無いことがあります。
単に無意味なだけなら実害はないのですが、場合によっては患者さまに迷惑がかかってしまうケースも考えられると思うのです。
逆に、メーカーの紹介の仕方がうまくないとその材料の良さを歯医者さんになかなか分かってもらえず、評価されるのに長い時間かかってしまうということもあります。

厳しく歯科材料を評価するくせがついてしまったおかげで、学会などに行ってメーカーの説明を受けると、一言一言問いただしてしまうので、その材料を使ってもいないのにまるでクレーマーのようになってしまうこともありました。メーカーの人には相当嫌がられたのではないでしょうか。

担当教授の理解もあって、週3日研究者として実験し、週3日歯科医院に行ってアルバイトをして仕事を覚えるという生活を4年間続けました。そして、論文が通って無事に大学院を卒業し、博士号を取得しました。

勤務医のころ

大学院のときにお世話になっていた医院からもっと出勤日を増やして欲しいと言われていたため、2件を掛け持ちするような形で、週5日働くことになりました。特に1件ではお年寄りの患者さまが多く、義歯の製作を沢山手がけることができ、そして自由に材料等も使わせてもらえたこともあって、義歯には自信がつきました。

そのうち友人に誘われて、訪問診療を始めました。病気や高齢のために歯科医院に通えない方の所に出向いて診療を行うのですが、ほとんどが入れ歯の患者さまなので、自分の技術が活かせる喜びを感じながら仕事ができました。

ほとんどの患者さまは、合わなくなった入れ歯を我慢して使っていた状態で、新しく入れ歯が入ってちゃんとかめるようになると、とても喜んでくれました。院内で普通に入れ歯を作ったときとは比べ物にならないくらい反応が違ったのです。

訪問診療がきっかけで、母体である医療法人の中で規模の大きい歯科医院の院長を任されることになりました。大勢のスタッフやドクターと一緒に働くのは楽しいものでした。
しかし、本部の方針をスタッフに伝えたり、ドクター間、スタッフ間の調整、休みやシフトの調整等、次第に管理職としての仕事が増えていったのです。
忙しくなればなるほど、自分のやりたい仕事はこれなんだろうかという疑問が生じ、歯科医師として、本来の仕事である診療を通じて患者さまと向き合うことに対してもっと時間を割きたいと思うようになりました。そして、新しいドクターが入り自分がいなくても医院がまわっていくのを見届けてから、自分の目が全体に届くくらいの大きさの歯科医院を目指して、現在の地に開院したのです。

開院以降

小さな診療所ですが、全てのことに自分がかかわる責任を感じながら、患者さまやスタッフに恵まれて十余年、なんとか続けられています。歯学部に進むことを選んだときは、資格が取れるということで何となく決めてしまった部分がありますが、今では本当に素晴らしい仕事に就くことができたと思っています。

歯科医師として、一通りのことはできると思っていても、やはりうまくいかないことも出てきます。そんな時は、専門書を読んだり講習を受けたりすることで、解決方法が見つかったり違ったアプローチ方法が見つかったりすることがあります。勉強をすればするほど、世界が広がっていくのです。そして結果に結び付いたときには達成感が得られるだけでなく、患者さまにも喜んでいただけるのです。

他の仕事に就いたことがないので比較はできませんが、学んだことがすぐに生かせるという点で、非常に幸せな仕事であると感じています。そして、これからももっとうまくなれないだろうかという思いを持ち続けながら、日々研鑽して歯科医療に邁進して行きたいと思っています。